プロフィール

広島県出身、1976年生まれの安定とはほど遠い人生を送っている40代の男です。

ちょっと長くなってしまいますが今までの人生を記してみましたのでご拝読ください。

 

大阪のコンピューター専門学校を卒業後、就職先も決まってないまま「東京=給与がいい」という勝手な夢を描いて上京した愚か者です。

いま考えれば当然なのですが面接しても新卒採用が終了している時期に就職先が決まるはずもなく...

貯金もたいしてなかったため一日の食事はパン一個という節約生活をしていました。

面接が決まれば外出するという危うい生活を3か月ほど続けてやっと決まった会社は今でいうブラック会社でした。

ただ、ブラックといっても給与面であり、それ以外は社長をはじめとした偉い方々になぜか気に入られていたためそれなりに楽しめた会社でした。

そこでのはじめての社会人経験が1つの会社で安定を求めて働くという考えをなくしてしまったと思います。

4年ほど勤めた中で最後の直属の上司であった方が退社し、会社を立ち上げることになりました。

変わった方で面白そうな仕事の話をよくしてくれる方でしたので、一緒に仕事を続けたく数か月後に私も退社しました。

 

・・・が、

 

最初の2年ほどは夢を持って楽しくやっていたのですが、数年たっても一向に何か新しいことを始める気配はなく、

さらには、自身で稼ぐこともせず私が稼いだお金を無駄遣いするだけで我慢の限界がきてバトル勃発!

バトルの中で私が代表を務めていた子会社を切り離すことに成功しました。

 

その後は切り離した会社の運営を切り盛りしてがんばっていたのですが。

1年ほど経ったころに突如裁判所から訴状(損害賠償請求)が届きました。

それはもう焦りました。なんだこりゃ!って

当然ですが、まあ相手の都合のいいようなことばかり書いてます。

たいした役員報酬をもらっていなかった私には700万の請求に頭が真っ白になりました。

相手は代理人弁護士を立ててきてますが、私には弁護士雇うお金もなく自身で戦うしか選択肢はありませんでした。

ネットの情報を参考に必死に反論の答弁書を作りましたよ。

そしてそれから何度も霞ヶ関に通うことになり、第一回口頭弁論では場所を間違えて高等裁判所に行ってしまうという
初回から遅刻という失態を犯しましたが最終口頭弁論後の和解まで1年以上の歳月を戦い抜きました。

結果は和解金として60万支払って(お金なかったので会社から借りてw)終了しました。

和解金の支払はバックレてもよかったのですが手切れ金として払いました。

(つづき、執筆中です)

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